貼り付けるアドセンスのコード 金澤翔子の経歴や母父兄弟は?ドキュメンタリー映画も | ダレナニ☆blog

金澤翔子の父親は実業家で母親は病気?兄弟や年収についても!

人物

ダウン症の書道家、金澤翔子さんを皆さん知ってますか?

とても有名な方ですよね!

その金澤翔子さんと母の歩んだ人生がドキュメンタリーとして放映されます。

知っている方も知らない方も、これを期に金澤翔子さんはいったいどういう人なのか少し覗いてみましょう!

・金澤翔子の父親は実業家で母親は病気?兄弟はいる?
・金澤翔子の年収
・金澤翔子の経歴
・ドキュメンタリー映画情報
・まとめ

 
 

金澤翔子の父親は実業家で母親は病気?兄弟はいる?

父の裕さんは家業を継ぐ実業家で奥様とお付き合いをしている頃からいくつもの会社を経営していました。

母の泰子さんの病気説があるようですが、病気に関する情報は見当たりませんでした。恐らく先立った父・裕さんの情報と混ざってしまっているものと思います。

翔子さんにご兄弟がいる可能性は極めて低いです。と言うのも、泰子さんは翔子さんを42歳で生んでいます。それまでに2度の流産を経験し、漸く授かった子供が翔子さんでした。インタビュー等での話の内容から見て翔子さんにご兄弟いないと思われます。

上記にあるように、翔子さんのお父さんは早くにお亡くなりになっています。突然の心臓発作で倒れ、そのまま帰らぬ人に。52歳という若さで生涯を閉じました。
この事が母の病気説に繋がっているのではないかと思います。
父の裕さんは風格のある器の大きい人だったと泰子さんは語っています。

母の泰子さんをご紹介します。
【母・泰子さん(77)】
⇒明治大学卒業。書家の柳田泰雲・泰山に師事。
夫・裕さんとは友人の紹介で知り合ったそうですいくつで結婚されたのかはわかりませんが、翔子さんを授かったのは41歳の時です。それまでに2度の流産を経験しています。
42歳で翔子さんを出産。どれほど嬉しかった事でしょう。
しかし出産後45日で翔子さんがダウン症だと判明。幸せから一変、2人で死のうと考えていたそうです。しかしどう考えても心の底では翔子さんを愛していました。それに気づき育てていく覚悟をしたそうです。当時はあまり情報もなく、障害者への視線も今よりもっと厳しいものでした。
書道については必要以上に翔子さんを厳しく指導され、翔子さんが10歳の頃に書いた『涙の般若心経』から二人三脚で書家の道を歩んできました。
 
 
 

金澤翔子の年収

年収はわかりませんでした。ただ参考として翔子さんの書かれた字の値段を見てみたいと思います。

49.5×49 『笑福』 200、000円
50.5×50.5 『花』 200、000円
54.5×53.5 『愛』 230、000円
67×64 『煌』 350、000円
63×85 『明るい方へ明るい方へ』 400、000円

という事でした。
こちらは公式サイトから調べたものですが、他の作品も大体が数万円~数十万円でした。
 
 

金澤翔子の経歴

生年月日:1985年6月12日
現在37歳。
新生児の時に敗血症を患い、生後45日にダウン症と診断される。

書道を始めたのは5歳の頃でした。
小学校4年生までは普通の学校に通っていたが急遽支援学校へ転校。その事がショックで一時は学校へ行けなくなります。
母が般若心経を大きな紙に書かせる事を思い立ち、厳しい指導の中276文字の般若心経を完成させる⇒のちに「涙の般若心経」と呼ばれ個展で展示されています。

ここから先は年表で追っていきますが、本当に凄い方なので全部書くと長くなってしまいます。
ですので主に経歴と主な活動を紹介します。

1995年  全日本学生書道連盟展に「花」を初出品
1999年  同展に「龍」を出品し銀賞
2000年  同展に「延命十句観音経」を出品、銀賞
2001年  同展に「舎利札」を出品、学生書道としては最高位の金賞

矢口養護学校へ進学。

2002年  同展に「觀」を出品し、金賞

高校2年生修了と同時に学校を中退し、ステップアップアカデミー(現・翔和学園)へ (中退)

2004年  書家としての号「小蘭」を取得
2005年(20歳)  初の個展「翔子書の世界」を銀座書廊で開催
⇒この個展がメディアで取り上げられ、書家として注目を浴びる様になる。
2006年  建長寺に「慈悲」を奉納
2009年  建仁寺に「風神雷神」を奉納
⇒国宝「風神雷神図」の隣に展示され大反響を呼んだ。
2012年  福島県いわき市に自身初の常設館である「金澤翔子美術館」を開設。館長に就任
2014年  紺綬褒章を受章
2015年(30歳)  縦4m×横16mの「世界一大きい般若心経」を書き龍雲寺で常設展示
書家としては異例の県立美術館(愛媛・福岡)で個展が開催され話題に
2017年  上野の森美術館にて自身最大級の個展を開催。会期中8日間で延べ4万人の来場を記録した

凄い経歴ですね。これでも抜粋して書いています。
他にはニューヨークの国連本部で開催された「世界ダウン症の日」記念会議に日本代表としてスピーチしたり、アーティストのCDジャケットの字を書いたり、20120年の大河ドラマ「平清盛」の題字を担当されたり、私達も一度は目にしていると思います。私もこれを調べながら「あれはこの人の字か!」と字体を思い出していました。
30歳(2015年)からは実家の近所にワンルームマンションを借りて一人暮らしを始めたそうです。
 

 

ドキュメンタリー映画情報

2023年 6月2日公開予定『共に生きる』
母と娘で歩んだ涙と幸せの38年

金澤翔子が書家として一流の舞台まで上り詰めるまでにはいくつもの努力と挑戦、母の支えがありました。
そんな日々の活動に密着し、共に生み出す書道と母娘の絆を描いた作品となっています。

エンディングはシンガーソングライターの森山直太朗の「泣いてもいいよ」に決定しました。

上映時間は79分。監督は宮澤正明、プロデューサー・構成は鎌田雄介です。
 

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。有名な方なのは知っていましたがこんなにも凄い方だとは知りませんでした!10歳で書いた276文字の般若心経、その集中力に脱帽です。しかも厳しい指導の下でですよ。私だったらすぐにやる気無くして反抗まっしぐらでしたよ!凄い!翔子さんはきっと素直な方なのでしょうね。

私がドキュメンタリーが好きなのでこの題材で書いてみたのですがとても見たくなりました!いったいどの様に親子で活動されているのでしょうね。今後も母娘仲良く元気に活動していって欲しいですね。


映画は6月2日公開予定です。

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